ものづくりの町として有名な大田区には、約3,500社の製造業が集積しています。高度経済成長や度々の不況を乗り越え、世界有数の「ものづくりの町」として発展してきました。そしてまた社会構造が変化する中、大田区の工業はまた新たな段階に入っています。
震災から戦後、工業地域としての勃興
関東大震災後、現大田区域の一部が工場地帯に指定されました。これに合わせて多くの工業家が大田区に転入してきたと考えられています。戦争とともに軍需事業所が増え、戦後はそれらの工場が日用品などの製造を行うようになりました。
中小企業の集積
1950年代末期から1960年代中頃にかけて、集団就職によって大量の人材が集まりました。この時期育った人々による独立創業が隆盛し、世界でもトップクラスの工業集積地が形成されていきました。
高度技術・技能とネットワークの発達
国内産業の発展に合わせて、大田区企業は金属加工を中心に多様な技術・技能が蓄積されていきました。また、数多くの町工場の集積している強みを活かし、周辺の町工場との協力によって1社ではできない製品の製造を行う、いわゆる「仲間回し」のネットワークが発展。「屋上から設計図の紙飛行機を飛ばせば、3日後には製品になって戻ってくる」という言葉は、大田区の技術力・ネットワークの力をうまく表現しています。
待ち受け型を脱し、設計・最終製品の製造を手がける
大田区企業は発注企業の求める難しい注文に高い技術力で応えてきました。結果、大田区の高精度・高品質な部品はさまざまな業界・製品にとって欠かせないものになっています。それに加え、また新たな潮流が生まれています。部品・パーツだけでなく、設計の提案やプロトタイプの製作、最終製品の製造を手がける企業の顕出です。
待ち受け型からメーカーとなり、価値の創出に取り組んでいる企業が大田区の工業に新しい展開をもたらしています。IoTやAIを活用したものづくりなど大きな変化が迫る中、大田区企業の高い技術力・技能はまた新たな形で影響力を発揮していきます。
※参考文献:大田区立郷土博物館編「工場まちの探検ガイド」